2025年03月07日

ジャコの事

ジャコ・パストリアスのファースト・アルバム・スタジオ盤の
ドナ・リー、テーマ部分を何十年振りかでちゃんとコピーしなおした。

ベースを始めた高校生の頃、知り合いの大学生
(学校の隣に在った大学の軽音楽部の部長だったと思う)
が「この曲弾けたら巧いベーシストという称号が得られる」
といった事を言われ、即挑戦。
しかし、テーマの最初の4音でツマズイタ。
「パパパパッ」ってやつです
あの歯切れ良いタイミングが弾けない。
当たり前過ぎる話です。

出だしでつまずいたので先に進めず、コピーは止めることに。
5〜6年経ってから再挑戦して何とかテーマだけ弾けるようになり、
そのまま放置していました。

それから10年経って学生に教えようと思い再度コピーし直します。
色々調べて「多分ココで弾いてんだろ」
ジャコの運指もTAB譜にしてまとめました。


zsrmwty.png


で、それから30年経った今、またコピーしたんですよね。
きっかけは。

youtube で「弾いてみた」や「ハウ・ツー」もので
このドナ・リーは世界中でなんと多い事かビックリします。
さすがジャコだなぁと思います。
ジャコの運指を正確に再現している人はいるかな?
と思い何日もかけて動画を観まくりますが、
「一つもない」でした。
なので「自分でもう一回コピーやろう」と思ったんですね。
「ジャコの運指でテーマを弾きたいんじゃあ」ですね。

もちろん運指ポジションはどこで弾こうが自由でプレイヤーが
弾きやすいポジションが一番いいんだけど、、、。
ジャコ自身がそうですもんね。

youtubeの「弾いてみた」の中には独自のポジショニングで
本当に素晴らしい演奏をなさってるベーシストが多くいます。
ドナ・リーのメロディーをベースでより良い演奏をするためなら
そういった動画を観て参考ににするんですが、

「そこじゃー無いねん!」
自分はジャコの運指が欲しいねん。
posted by kamada at 03:20| Fav.アーティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月21日

ベースの音が出ない!


またまた楽器の話になるのですが、
8月17日のセッション・ライブでの出来事。

いつも通り、リハ時間前に店に着いてゆっくりとセッティング。
シールドをプレべに接続して
アンプから出ているDIボックスに繋げてから
アンプの電源をON。
Vol.はまだ上げない。

先にチューニング。
さぁ!ゲインVol.を上げてからマスターを上げる。

あれ?ゲインを上げてもアンプのパイロット・ランプが反応しない?
あれあれ?マスターを上げてみた。やはり音が出ない。

この日はハードロック中心だったので
歪み系のエフェクターをセッティングしていた。

シールドかなぁ?
全部チェックしたが間違っていない。

アンプ直でシールド1本で試した。

音が出ない。

キーボードの人からシールド借りて試したが出ない。
アンプか?

キーボードの人にラインアウト直で試してもらった。
ちゃんと出た。

「ベースかぁー!」

ライブ活動してから数十年、こんなトラブルは一回もない。
若いころシールドの原因でトラブった事はありますが、(marinoで)

それからは必ず前日に機材はチェックしている。
でも楽器本体は完璧に信用していた。
それが甘かった。

ベース無しでリハを進行してもらい、
自分はプレべの中を調べることにした。

あー!ネジが多いなぁー。13個もあるやん!
ピック・ガードを外さなければ中が調べられない。
「ジャズべやったらネジ3個やのになぁ!」

原因は?
中を見るとボディのコントロール・ブースに貼ってあった
絶縁アルミ・テープがボディに密着されず浮いている。

artape.jpg

そのため配線内のどこかでホット、コールドが繋がって
しまったのでしょうね。

配線にはプラスとマイナス(ホット、コールド)があり、
プラスとマイナスが接触しちゃうと電流が流れなくなり(合ってる?)

当然音も出なくなるという訳だ。

その日はアルミテープを綺麗にボディに密着させてやる事で、
無事リハに戻れた。

家で再度ピックガードを外し中を点検。
問題はなぜ、こうなったかだ。

なぜ、アルミテープが変形したのか?
「連日の猛暑のせい?」
いやいや。

心当たりがあった。
7月にピックガードを新しいものに変えた。

何故ならジャック挿入口付近が割れてしまったからだ。

IMG20241005090710.jpg

プラグを抜き差しする度にピックガードが1cmほど
浮いてしまう状態でしばらく使っていたため
中のアルミテープがズレたのだろう。

ピックガード張り替えた時には気が付かなかったけど、
この暑さで変形した。、、、と
自分の中で解決しました。

で、また変形したら怖いのでアルミテープを全部
ボディからむしり取りました。
ついでにピックガード裏に立ってあるアルミも剥がしたった。

IMG20241004200412.jpg

ライブ数本演りましたが、全然問題なし、ノイズもなし、
かえって音が良くなったような気がします。

録音か何かで問題が出てくれば、その時また考えよう。
posted by kamada at 09:50| 楽器 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月06日

ベースのピックアップがへこんだ

先日のMarinoでのステージでの出来事です。

2曲目の「アウトロー」BPM=150〜60。
ベースラインは8分のルート弾き。

曲中、自分の中で盛り上がっちゃってピッキングを
Van Halen の「Unchained」でのマイケル・アンソニーばりに
ベース・ボディをグー・パンチで数小節やったんですわ。

で、ピックアップがこうなりました。
めり込んじゃってしまいました。

IMG20240923062029.jpg

自分のピッキング・フォームとしては、
4弦を弾くときは親指をピックアップにのせて弾くんですね。

ピックアップの調整としては5mmほど出しているのです。
そこに親指をのせるのね。

仕方なしに曲が終わるまで残り数分間、
親指が宙ぶらりんの状態で弾き終えたわけです。

次の曲のまでのM.Cの時になんとか引っ張り出そうと
努力しましたが、全然ダメで、その時頭の中では

  ”このまま最後まで演りきろうかな。
   無理したら弾けない事もないし、
   あかんかったらサブ・ベースもあるし。
   M.Cを中断させてまで、
   修理する為に一時ステージから引っ込む
   なんてバンドとしてカッコ悪い。うん。
   、、、、、でも残り10曲以上あるなぁ。
   ピッキングに気を囚われて十分な
   パフォーマンスできないかも。
   このベースで弾きたいしなぁ。
   、、、うん、よし。MC中断してやろう。”

と思って最後にピックアップをグリグリした時です。
「ペコン!」

IMG20240923062041.jpg

なんと元に戻りました。奇跡だ!
ピックアップの反対側をグッと押したら
簡単に元に戻りました。あー良かったぁ!
で、最後まで事故もなく良いライブが終了しました。

今思えば
あの時もっと落ち着いて考えてれば、
ピックアップの設置構造上、反対側に押さえるのが
戻る確率は一番高いのは常識なんだけどね。
奇跡でも何でもないわ
大興奮してたんだろうなぁ。
posted by kamada at 20:44| 楽器 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月22日

MARINO BIGJACK 

9月21日BIGJACK
何年振りだろうか、マリノでのワンマン。

アンコールを続けて2曲やった後の
「マリノ・コール」に
何十年振りかの感覚が蘇った。

Marino 愛に溢れたお客さん、ミュージシャン友達、
スタッフ達に後押しされて、素晴らしいライブになりました。

いろんな想いを乗り越えてのライブだったけど、
やって良かった。


IMG20240921171617.jpg

1stの曲を中心に
ベース・ソロから「Nothing For You」
「Target」からドラム・ソロといった、
昔よくやってた構成+2ndから2曲といった
セット・メニュー。

IMG20240921171611.jpg

自分が特に気を付けたところは、
当時のベースラインをなるべく忠実に弾く事。

40年振りに弾く曲など最初は「カバー」感覚。
どうしても今の自分の感覚でベース・ラインを
変えたくなってしまう。

でも忠実に当時のように弾く事での効果は
昔の自分の気持ち(曲に対する)に戻れること。
自身のバンドっていう感覚になります。

これからの「新生 MARINO」としての
活動はまだ未定ですが
この「気持ち」は大切にしたいな。
posted by kamada at 10:25| Band | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月14日

もうすぐ2年かぁ....

去年、
2023年10月29日「Japan HeavyMetal Fantasy」。
いろんな想いを背負って「MARINO」で参加しました。

jhf23.png

40年前”ジャパメタ”黎明期、共に頑張ってきた
EARTHSHAKER、44MAGNUMらとの
再会の喜びと緊張でライブは楽しかったけど、

未だ受け入れられない事が自分にはありました。


62歳という若さで先に逝ってしまった令文との
同バンドでの在籍期間はそんなに長くはないのだけど
(1985年にMARINOが活動休止してから
彼は東京へ移住。自分は大阪に残った。)

若い頃の彼からは凄まじい影響をしっかり受けた。

彼がどんなに素晴らしいギタリストであったかは、
今更自分が言うまでもないが、それよりも、

rrevn.png

プレイに対して真摯に受け止め、
自分に厳しく他人にも厳しい
武士道のような佇まい。

ギタリスト道とでもいうべきか、

そんな彼の音楽に対する妥協を許さない姿勢に
20代の自分は影響を受けたと思います。

同世代だけど(学年は彼が一つ上)
師匠的な存在だったから
先に逝っちゃっては困るんです。
ライバルであり、師匠への感謝であり。

今年になってようやく
「レイヴン」がいない
という事実を受け入れる事ができた。

きっかけは
「彼を忘れてはならない」という事。

彼の話をもっとしよう。
いい事も、悪いことも。

で、自分の出来ることは?

彼の残した「もの」を奏でよう、
届けようって事。

こんな当たり前の気持ちになるまで
時間かかってしまいました。
posted by kamada at 01:27| Band | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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