2014年06月08日

親父さま


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1950年前後?




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1962年



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1984年



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2004年




自分がギターを始めた11歳の時、
最初に教えてくれたのが父親だった。

昭和初期のギター・ヒーロー古賀政男の
「酒は泪か溜息か」と「影を慕いて」
2曲共、key=Dmの悲しい歌。”ど演歌”である。

レクチャーに厳しさは無く、一通り手順を教えるだけで、
いつも晩酌しながら「上手い!うまい!」と言ってた。

それを真に受けたお調子ノリの自分は益々ギターに
ノメリ込んで行くんですね。


サラリーマン人生の親父の生き方と
自分とは全く違うと思っていたのは若い頃の私。

しかし歳を取るにつれ、
いろいろと共通点を発見してしまう。
父が自分の歳だった頃、どうだったかってヤツね。


親父が亡くなり四十九日も済んだこの2ヶ月足らずで、
自分が知らなかった親父が見えてきた。


親父が昔サックスを吹いていたのは知っていたが
その演奏を聴いたことは無い。
どういった活動をしていたのかも知らなかった。


以前直接訊ねたことがある。

 自分 「楽団ではどんな曲を演ってたん?」

  父 「軽音楽や演歌やな」

詳しいジャンルや曲名を問いただそうとしたが
何故か話がかみ合わなくなりそれっきりになった。


法要の時に親父の弟に尋ねてみた。

 自分 「叔父さん、おとうさんはサックスを吹いてたんやね?」

 叔父 「サックスもやってたけどメインはトロンボーンや。
     ものすごいよう練習してたわ。
     楽団の練習から帰ったら毎日家でギター弾いとったなぁ。」

 自分 「それでギター弾けたんですね。」

 叔父 「田舎では楽団を頑張とったけど大阪に帰って就職してから
     は会社のクラブでやっとったわ」


後に母親に聞いたところでは

大阪生まれの親父は家族ごと20歳くらいまで香川県に疎開していて
そこでバンド活動(ビッグバンド)していたらしい。
ダンスホールの他、街や学校のイベント、祭りなどで演奏していた。

1950年当時で言う”軽音楽”とはつまりスタンダードジャズ。
親父のいう”演歌”とは当時の歌謡曲のこと。
昭和25年頃の歌謡曲のアレンジってジャズっぽい。

大阪に帰ってからも父は音楽の道に進もうと思う。
京都のある有名な楽団に紹介してもらう為に
知り合いを訪ねた所、その人は不在だった。

丁度その時に住友電工の募集があり、父はそれを選んだ。


とまぁ、こんな感じです。


音楽の道をあきらめてサラリーマンになるって
悩んだのかな?辛かったのかな?
と思うのは勝手な思い込みやね。

「オッ!募集してるやん。超ラッキー!」
くらいに思っていたんでしょうね。たぶん。

自分の時とは状況が違い過ぎる。
当然でしょう。


でも、こうやって写真を並べると
時代や状況の違いを越えて
同じ思いの自分と親父が見えてきて泣けてくる。
posted by kamada at 03:49| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月28日

初、Gene!


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うちの娘9歳。が、
ジーンに目覚めたらしい!
ベースを弾きたいんだと。

やはり、ジーンはフェンダー似合わん。

Cortのベースがいるなぁ。
いやいや、
ギブソン・グラバーの方がいいなぁ。
posted by kamada at 11:56| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月03日

体育大会で”島チャン”とバッタリ


僕が'80年代に”マリノ”をやってた時代、

当時の大阪で
すげーなぁ!」
と思った歳下の後輩的ハードロック、メタルバンド?
が2つあった。

Medusa”と”Tinkerbell”。

その”Tinkerbell”のベーシスト”島チャン
とバッタリと出逢った場所が
お互いが親の立場で観に来た”体育大会”でした。

雨が心配されていたこの日、
午前中に開始早々少し降った後は
”降りそうで降らない、チョッピリ数秒だけ降ってすぐ止んで”
てな感じで素晴しく過ごしやすい一日でした。

「去年はカンカンに晴れてて暑かったからねぇ。
よかったよかった!」

涼しかったこの日の写真の中の
暑苦しいオッサン2人はワシと”島チャン

「な〜んか、変な感じやなぁ!」
とか言いながら
明るく健全な環境に居る自分らを楽しむ親父達でした。


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posted by kamada at 02:24| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月29日

サイクリング

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自転車で息子と近くの公園へ行きました。

交通量の多い府道を避けて、
坂の多い脇道を選んで競争。

知らないうちに息子の操縦技術は上がってた。

長い上がり坂、10秒で負けを自覚。

相手は最新の5段変則 KID'S 用。
此方はママチャリ。

でも、そんなのカンケーネー!

私はニコニコ笑いながらも、
ちょっと悔しかった。

公園内にある運動場に着き、
オヤジとしてのプライドを取り戻そうと思い、
前輪ブレーキをかけて、
後輪を滑らすテクニックを教えると、

「知ってるで!」

と言って、
アザヤカに回転して見せてくれた。
posted by kamada at 10:02| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月02日

トランペット

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トランペットを買った

小学校3年の息子が今年から
小学校の音楽隊に所属しており、

早朝、放課後練習に励んでくれちゃってて
今はトランペットを担当している。

楽器は学校所有のを使っている。

音楽隊での最初はカラーガード(旗振り)
担当だったのでそれを続けていると思っていた。

ある日、ビートルズの
「オブラディ・オブラダ」
を口ずさんでいたので

「それ、何処で憶えてん?」と訊ねると

「今、音楽隊で吹いてるんねん。」

「吹いてる?」

トランペットを担当している事が発覚したのです。

楽器はこれまで、無理やり教えたりはしていない。

ピアノはせがまれれば教えたけど、
すぐに飽きてしまっていた。

”ギターやベースなんてのは体が大きくなってから教えた方が良い”
という持論があるので一切、教えていないが

自分から教えて欲しいと言ってくれるのを待ってる感もある。

しかし「自分からトランペットを選んだ」
っての聞いて嬉しかった。

少しでも教える事が出来ればと思い
自分用の安い練習用トランペットを買ったのだ
(息子にはその内マシなのを買ってあげよう)。

で、いろいろ調べて、いざ吹いてみたら、、、、、。
全く音が出なかった。
自分の小学校の時の記憶が戻ってきた。

私自身のトランペットの経験と言えば
やはり小学校の高学年の頃で、吹奏楽部から
借りて練習した事があった。
でも「ド」の音1つ出すだけでも
相当な体力を要し、演奏を諦めた覚えがある。

あの頃よりは肺活量もあるのだから
音ぐらい出るでしょう?
というあまーい考えと思い込みで
買ったのだが、、、。

「楽器の不具合かなぁ?」と楽器のせいにしたり。

そこで息子に「吹いて見せてみろ」

息子は私からトランペットをひったくって、
普通に音階を奏でた後、
「オブラディ・オブラダ」
のメロディー・パートを演奏した。

先ずは音の出し方から息子に教わる事にした。

posted by kamada at 15:32| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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